園長コラム 石井桃子の言葉

 「大人になってから、老人になってからあなたを支えてくれるのは子ども時代のあなたです。」―石井桃子

 私はこの言葉が好きです。石井桃子氏は児童文学作家であり翻訳家です。「くまのプーさん」「ピーターラビットのおはなし」「うさこちゃん」といった数々の絵本の翻訳を手がけました。また明治、大正、昭和、平成の時代を生き子ども達に「よい絵本」の普及に尽した方です。

 乳幼児は自分が生きているプロセスや体験が将来に生かされると考えながら遊んでいません。児童精神科医の佐々木正美先生も「子ども時代に仲間と燃えるような遊びをする体験が大切」だと言っています。

 子どもたちの遊んでいる様子を見るといつでもうさぎになれ、パンダになれ、お母さんにも赤ちゃんにもなれます。何度も飽きもせず、くり返し同じことをし、くり返し叱られ、へこたれません。工夫次第でもっと効率的に遊べるのに、と大人の私達は思っても、遠回りをし汗だくになり夢中で取り組みます。仲間に入れて欲しくて陰でそっとシールを渡したり…。「もう一生遊ばない!」と言いながら翌日いつも通りに遊ぶ。さまざまな姿があり、大人には到底真似できない柔軟性や素直さを持っています。

 皆さんは幼少期にどのような遊びをしましたか?私は三人兄妹の真ん中で育ち、家が商売をしていた関係でほぼ放りっぱなしで育てられました。でも祖父母、叔父叔母、従兄弟、近所の方は家族同様の扱いをしてくれました。なんといっても母は神様のような人でした。幼少期の頃は2つ下の妹を常に抱え近所の友達と毎日暗くなるまで遊びました。路地での缶蹴り、大きな土管の中でおままごと、原っぱで鬼ごっこ、ボール遊び。習い事で母が迎えに来ても「行かないよ〜」と逃げ回っていました。従兄弟と兄妹で他人の玄関の階段を拝借し「忍者部隊月光」(当時流行っていたTV番組)の真似で忍者になりきり素早く移動。

 家では自分が入れるほどの茶箱に入っている母の着物や洋服を引っぱり出し、母になった気分で着替え、妹の手を引き大通りを渡って友達の家へ。相手の友達も同じようにおめかしをして、お家ごっこ。今日は和装、今日は洋装。母の花のついた白いハイヒールを履き、革のバッグをさげ、ヒールを履いて大通りを渡る。途中でずっこけ、ヒールを折る!時にはストッキングまで履いて遊びに行ったこともありました。それでも母は一切うるさいことは言わず、叱ることもなく、私と妹の遊ぶ姿を優しいまなざしで見ていてくれました。キラキラ光るストッキングの光りは今でも忘れられません。そして茶箱の中に入っていたナフタリン(芳香剤)の臭いもしてきそうです。

 友達の家では度々夕食をご馳走になり、気がつくと私専用のお茶碗とお箸が用意され、いつでもウェルカムな待遇。週末はほとんど家にいず、従兄弟の家に泊まりに。外食が嬉しく夕食は不二家へ。帰りにはペコちゃんの棒付のチョコレートを買ってもらうというお決まりのコースが嬉しくて。母のいない寂しさを叔母のところで補っていたのでしょう。

 今更ですが、私の子ども時代は温かい大人の中、そして温かい仲間に支えられ今があることに感謝をしています。人間が幸に暮らせるには、子ども時代の遊びの中で協調性や心のコントロール、人間関係を学びます。勉強はいつでもできます。今しかできない遊びが存分にできることを願っています。

カレーDAYに合わせて「ナン」と美味しいクッキング

 先日、年中組でナンのクッキングを行ないました。6名のボランティアの方にご協力をいただき、粉から混ぜ、ひたすら捏ねて捏ねて…!「なんだかパンみたいな匂いがする〜」「はやく食べたいなぁ!」と食べることを待ちわびていた子ども達。ナンの発酵後、ボランティアの方たちを中心に園庭にある釜で焼いていただきました。「出来立てが食べられるよ〜!」との声に集まった子ども達、昼食前にナンの味見タイム。「美味しすぎるー!」「はやくカレーと一緒に食べたいー!」とほっぺが落ちそうになっている子も。カレーもナンもおかわりが止まらず、ナンとも美味しいカレーDAYでした。

掘って!見て!触って!秋の発見

先日『おいも掘り』に行ってきました。

子ども達は「大きいおいもを掘るぞ!」「100個掘る!」と、胸を弾ませながら畑へ。小さな手に力をこめて土を掘り進め、全身を使っておいもを引っぱる姿は、まっすぐで頼もしいものでした。 おいもが土の中から顔をのぞかせた瞬間には、あちらこちらから歓声が。

満面の笑みが広がり、達成感と喜びでいっぱいの時間となり、子ども達にとって秋の実りを全身で感じる一日となりました。

音楽会を開いて…

 教職員による音楽会を開きました。ホールに並べた楽器は20種類弱。

和と洋の2曲を演奏し、迫力ある音と繊細な音に耳を傾け、それぞれの楽曲の世界を楽しみました。

演奏会が終わると実際に楽器を手にとって音色を味わい、音の違いやそれぞれの楽器の持つ音色を自分の手、耳、心を使って感じました。

弾き方、持ち方等はまだ後回しにしたいのが私たちの思いです。

まずは1人ひとりが感じたまま、興味を持った思いを大切にし、音楽監督(ドラちゃんこと)倉橋先生と楽器遊びを楽しみました。

至る所で「ピタゴラスイッチ」△■◯

毎年、学年を問わず子どもたちの心をつかんで離さない遊びのひとつが「ピタゴラスイッチごっこ」です。
身近なブロックや洗濯ばさみ、ビー玉、画用紙や廃材を組み合わせてつくる装置から、砂場でベンチやコーンの穴を巧みに活用した仕掛けまで、遊びの舞台は広がっていきます。

ピアジェの言葉を借りるなら、子ども達の発想はまさに“小さな科学者”です。思い描いた動きを確かめながら試行錯誤し、失敗も次の工夫へとつながっていきます。

年齢ごとの発達に応じた工夫が自然と表れ、一人ひとりの「今」を映し出してくれるのも、この遊びの魅力。子どもの繊細な「こだわり」を見つけるのが教師の楽しみになっています。

「エイサーやりたい!」

 スポーツデーが21日に終わり、エイサーマスターの年長組から年少中の友だちへ。相棒のパーランクーとバチを持ち、「こっちの手で持つんだよ」「耳の横まで回すんだよ」と教える年長児の自信たっぷりな表情!やる気満々な年長児を横目に、年少中の子ども達もかっこよく舞います。また一つ大切な文化を繋いでくれた年長組の子ども達でした。

本物に触れる

前回投稿に続きエイサーについてです。

太陽幼稚園のスポーツデーでは、毎年沖縄の伝統舞踊「エイサー」を年長児が披露しています。
合わせて、本番前に沖縄を代表する創作太鼓集団「琉球國祭り太鼓」の皆様にお越しいただき、演舞を披露していただいています。
例年、等々力緑地催し物広場にて、一般の方々にもご覧いただけるようにしておりましたが、今年度は残暑が厳しいこともあり、安全面から園内にて子ども達のみを対象とした形で行ないました。

いざ演舞を目にすると、目の前で体感する本物の太鼓の響きや演舞の迫力に、子どもたちは釘付けに👀✨なっていました。
カチャーシーでは一緒に手踊りに参加したり、獅子舞が登場したりと、どんどん会場全体が熱を帯び、幼稚園のホールが沖縄の雰囲気でいっぱいになりました。
演舞後には「自分たちのエイサーも見てほしい!」という声があがり、プロの皆様に見てもらえる喜びから、子どもたちの表情や踊る力強さにいつも以上の輝きが感じられました。

これからも“本物”にふれる体験を大切にしていきたいと思います。

また、よろしければぜひ今週末に控えておりますスポーツデー本番での子ども達の演舞もご覧ください!

力みなぎる太鼓の音
凛とした佇まいに子ども達の目と心は奪われる
注がれる憧れの視線
「かっこよかったです!」「ありがとう」
獅子舞に噛まれると健やかな成長に繋がると言われています

結心 ~みんなが太陽~

 たいようスポーツデーに向けてエイサーの取り組みをしている年長児。今年の5月に年長の子ども達と梅の木の枝を使って染めた長〜いサラシ。エイサー演舞に華を添えたかった旗作り。その染めたサラシを縫い合わせて特注の旗に仕上げてくださったのは年長児のお母様。縫い合わせる前に、布の素材、文字が滲んでしまわないか、重くなると風になびかない…など様々なことに気を遣いながら最後の仕上げをしてくださっています。 子ども達に送る最高のエールになるようご尽力をいただきました。そして先日、また別のお母様が筆と墨で文字入れをしてくださり、新たな命が吹き込まれました。お二人のお母様によって世界に一つの、そして、子ども達の思いが乗った旗が出来上がりました。 張り詰めた緊張感の中、力強く進む筆の動きに圧倒されつつ真剣な眼差しでみつめる年中長の子ども達。素晴らしいひとときをご一緒させて頂きました。

実りの秋、成長の2学期

2学期が始まり、早くも1週間が経ちました。夏休みの間は静かだった園舎も、今では子どもたちの元気な声でにぎわっています。『〇〇ちゃん元気だった?』『夏休みここに行ったよ!』と、お友達や先生との再会を喜ぶ姿があちらこちらで見られ、園内に笑顔が広がっています。これからの2学期は、スポーツデーやおいもほり、お餅つき、クリスマス会など、楽しい行事が盛りだくさんです。子どもたちが友だちと力を合わせながら活動したり、季節を感じて楽しんだりする中で、一人ひとりが大きく成長していきます。日々の生活の中で生まれる『できた!』や『うれしい!』の瞬間をこれからも大切に見守っていきたいと思います。

園長コラム 家族団欒を大切に

「あ〜お腹すいた!早くお弁当食べたい!」幼稚園にいてこの声を聞くと嬉しくなります。人は食べるということで生命の維持をはかり健康か否かのバロメーターになります。精神と直結していて子どもはお母さんが恋しくなると「お腹すいた」と言ったり、疲れたりつまらなくなるとこの声があがります。お腹がすいたという欲は根本的な自然な欲求です。昨今はお腹すいたの声が聞こえないと言われています。室内遊び、特に静の遊びが多く、くたくたになるまで時間を忘れて遊ぶということがめっきり減りました。非常に残念です。門限を忘れて遊んで叱られるということはまずありません。子ども時代に思う存分遊ばず人生の中でどこで遊ぶのでしょうか。

 実は食べること=人間関係が関わっていることについてお話しをします。本来人間は字のごとく人と人の中で支え合って生きることに心地良さを感じます。食べることと同等に必要な人間関係を構築する力です。ところが人と付き合うのが面倒、人と一緒に会話をしながら楽しく食べるのは苦手、一人が気楽という人が増えてきました。ものが言えない新生児でさえお腹がすいたら泣くという表現で満たしてくれた人と信頼関係を育みます。泣いている人も自分の所に近づいてきてくれない、声もかけてくれないとどうなるでしょう。泣かなくなります。言うことを聞くようになるのではなく諦めてしまいます。これは子どもも大人も、言っても反発しても分かってくれないとなると、諦めてしまいます。あってはならないことです。

 幼稚園のお弁当の時の一コマをご紹介しましょう。どの子も自分の席が決まりお弁当を食べ始めると晴れやかな最高の顔をします。嬉しくて変顔もしてふざけます。私が教室に入ると「見て見て私のお弁当」友達と中身が違う自分だけのお弁当に誇りを持っているようです。「ウィンナー持ってきてる人〜!」「は〜い!」「今日のデザート(フルーツ)は何でしょうか?」「いちごー!パイナップルー!ぶどう〜!」「あったり〜!」「私昔ね、おばあちゃんと焼肉食べた」「お父さんとお母さん喧嘩した。お母さんもうご飯作らないって」等々、聞いているとたわいもないことのようですが、子ども達は自分が話しをしたことを誰かが聴いてくれる。聴いてくれる心地よさ、人といる心地よさを感じます。楽しい話しばかりではなく心配なこと、悲しかったことなどを言葉に出してみたりします。

 同じおかずを持っている友達がいたことの偶然の喜び。同じだったことに共感し合える間柄。何て幸!友達と同じだという共感を味わった子だけが共感し合える間柄。次は人との違いが分かるようになります。共感を体験しない子は残念ながら人との違い、意見や考えの違いなども理解できません。デザートのフルーツもストレートに答えを言わずクイズ形式にする話術。いかに自分に注目してもらえるかを考えられる力。「私昔ね…」子どもは2、3日前のことを昔という言葉で表現することがあります。素直に言葉にしても誰も咎めません。

 食卓を囲んだ時こそ、人間同士確かめ合ったり分かり合える場になったり人と人との交流になり相手のことを知るきっかけにもなります。認めてもらえ元気にもなります。面白いことを言ったら笑ってくれた。こんな喜びもあります。 

 ご家庭での食卓はいかがでしょうか。毎日のくり返しになるのでテレビをつけながら食べることが日常的になっていませんか。今日からテレビは消しましょう。習慣化されたことはこの先もずっと続いてしまいます。子どもが食卓にいる時は会話の中心は子どもに。話しを聴いてくれる環境があると、子どもは社会で落ち着きます。社会の中で話しをする前に信頼のおける家族の中で話せる環境を作っていただきたいです。家庭でできたことを子ども達は社会で試します。家庭でできないことを幼稚園でするのは勇気がいります。家庭で団欒をしていなければ社会で団欒はできません。嘘のような話しでも「へぇ〜そんなことがあったんだね」人の話しを聞く時は「は・ひ・ふ・へ・ほ」だけでいいと言われます。根掘り葉掘り聞くのは避けましょう。「は〜そうなのね」「ひぃーそれは驚いたね」「ふんふん」などなど。

 長い夏休み、1日3食の用意は大変でしたね。そんな矢先にこんな話。分かっているけどできない現実。よ〜くわかります。幼少期に育まれた家庭環境は意識していない、自覚していない理屈ではなく、肌で身体で覚えたことが蓄えとなっていきます。子ども達は大切な毎日を送っていることをどうか忘れないでください。