「あ〜お腹すいた!早くお弁当食べたい!」幼稚園にいてこの声を聞くと嬉しくなります。人は食べるということで生命の維持をはかり健康か否かのバロメーターになります。精神と直結していて子どもはお母さんが恋しくなると「お腹すいた」と言ったり、疲れたりつまらなくなるとこの声があがります。お腹がすいたという欲は根本的な自然な欲求です。昨今はお腹すいたの声が聞こえないと言われています。室内遊び、特に静の遊びが多く、くたくたになるまで時間を忘れて遊ぶということがめっきり減りました。非常に残念です。門限を忘れて遊んで叱られるということはまずありません。子ども時代に思う存分遊ばず人生の中でどこで遊ぶのでしょうか。
実は食べること=人間関係が関わっていることについてお話しをします。本来人間は字のごとく人と人の中で支え合って生きることに心地良さを感じます。食べることと同等に必要な人間関係を構築する力です。ところが人と付き合うのが面倒、人と一緒に会話をしながら楽しく食べるのは苦手、一人が気楽という人が増えてきました。ものが言えない新生児でさえお腹がすいたら泣くという表現で満たしてくれた人と信頼関係を育みます。泣いている人も自分の所に近づいてきてくれない、声もかけてくれないとどうなるでしょう。泣かなくなります。言うことを聞くようになるのではなく諦めてしまいます。これは子どもも大人も、言っても反発しても分かってくれないとなると、諦めてしまいます。あってはならないことです。
幼稚園のお弁当の時の一コマをご紹介しましょう。どの子も自分の席が決まりお弁当を食べ始めると晴れやかな最高の顔をします。嬉しくて変顔もしてふざけます。私が教室に入ると「見て見て私のお弁当」友達と中身が違う自分だけのお弁当に誇りを持っているようです。「ウィンナー持ってきてる人〜!」「は〜い!」「今日のデザート(フルーツ)は何でしょうか?」「いちごー!パイナップルー!ぶどう〜!」「あったり〜!」「私昔ね、おばあちゃんと焼肉食べた」「お父さんとお母さん喧嘩した。お母さんもうご飯作らないって」等々、聞いているとたわいもないことのようですが、子ども達は自分が話しをしたことを誰かが聴いてくれる。聴いてくれる心地よさ、人といる心地よさを感じます。楽しい話しばかりではなく心配なこと、悲しかったことなどを言葉に出してみたりします。
同じおかずを持っている友達がいたことの偶然の喜び。同じだったことに共感し合える間柄。何て幸!友達と同じだという共感を味わった子だけが共感し合える間柄。次は人との違いが分かるようになります。共感を体験しない子は残念ながら人との違い、意見や考えの違いなども理解できません。デザートのフルーツもストレートに答えを言わずクイズ形式にする話術。いかに自分に注目してもらえるかを考えられる力。「私昔ね…」子どもは2、3日前のことを昔という言葉で表現することがあります。素直に言葉にしても誰も咎めません。
食卓を囲んだ時こそ、人間同士確かめ合ったり分かり合える場になったり人と人との交流になり相手のことを知るきっかけにもなります。認めてもらえ元気にもなります。面白いことを言ったら笑ってくれた。こんな喜びもあります。
ご家庭での食卓はいかがでしょうか。毎日のくり返しになるのでテレビをつけながら食べることが日常的になっていませんか。今日からテレビは消しましょう。習慣化されたことはこの先もずっと続いてしまいます。子どもが食卓にいる時は会話の中心は子どもに。話しを聴いてくれる環境があると、子どもは社会で落ち着きます。社会の中で話しをする前に信頼のおける家族の中で話せる環境を作っていただきたいです。家庭でできたことを子ども達は社会で試します。家庭でできないことを幼稚園でするのは勇気がいります。家庭で団欒をしていなければ社会で団欒はできません。嘘のような話しでも「へぇ〜そんなことがあったんだね」人の話しを聞く時は「は・ひ・ふ・へ・ほ」だけでいいと言われます。根掘り葉掘り聞くのは避けましょう。「は〜そうなのね」「ひぃーそれは驚いたね」「ふんふん」などなど。
長い夏休み、1日3食の用意は大変でしたね。そんな矢先にこんな話。分かっているけどできない現実。よ〜くわかります。幼少期に育まれた家庭環境は意識していない、自覚していない理屈ではなく、肌で身体で覚えたことが蓄えとなっていきます。子ども達は大切な毎日を送っていることをどうか忘れないでください。